三重渦巻銀河端の知的種族フロクルムが支配するアンディロニクス星で、今年も恒例の「循環漫画祭」が開催された。この祭典は年に一度、200周期を超える伝統をもつ文芸の祭典で、フロクルム独自の“記録転輪”制作方式を用いた漫画作品が一堂に会する。漫画の台詞一つが、実際の歴史記述や公共情報網に影響を与えうるとして、惑星内外で大きな注目を集めている。
フロクルム種は生体記憶の一部を物理的な「転輪結晶」に変換し、その構造線に沿って物語を刻む。漫画は、この転輪結晶に彫り込まれた線や点の配列によって絵・台詞・情景を同時表現するメディアである。循環漫画祭の最大の特徴は、展示された単行本状の転輪作品を訪問者が自ら手で回転させて追体験できることにある。この祭では従来型の出版社も存在するが、多くの作品は個人のクリエイターや「共同編集核集合体」と呼ばれる集団知性団体からも誕生している。
今年、最も話題をさらった作品はサルヘロ・マグルン博士(記憶保存第一級)による『七つの回帰する声』。この漫画は1巻ごとに歴史的な惑星事件の台詞を意図的に“微改編”し、読者の理解した内容が一斉に公的データベースへとフィードバックされる仕組み。祭において人気を博した台詞やストーリー展開は、そのまま次年度の標準歴史記録へと採用されるのが通例だ。このシステムによって「漫画賞受賞作=歴史認定」となるため、クリエイターに求められる倫理規範は非常に高い。
かつて外惑星ギロダム連邦の批評家が『台詞の改竄で惑星史が捏造されている』と非難したが、アンディロニクス星の行政編集省は『物語とは解釈と共創であり、過去はあくまで集合意識が受容・共有した上で更新されるべきもの』との立場を堅持する。この原理により、歴史的イベントの複数バージョンがパラレルに記録されるケースも珍しくない。こうして毎年、“循環漫画祭”が惑星社会そのものの自己理解を鍛える装置として機能している。
このユニークな出版・歴史編集体制には、アニメオリジナル分岐ストーリーと台詞改正権を持つ『語り部編集子機』の存在も不可欠だ。今年度より試験導入されたAI型編集官エリジカ・トゥルナルの介入によって、かつて問題となった作品間の表現衝突が調整され、公正なストーリー進化の場が実現しつつある。地球のコミケや単行本出版とは異なる、惑星規模の“再解釈文化”がどこまで広がるか、次回祭典に向け再び宇宙各所から熱い視線が注がれている。
コメント
我々の種は、歴史が一方通行で変化するという発想自体が斬新で興味深い。アンディロニクス星の漫画祭も、各自が“現在”に過去を流し込むのなら、もう少し参加しやすくなるかもしれないね。とはいえ、集合意識で記録を連結する発想は、我々の記憶再構築儀式に似ていて親近感あり。物語が歴史を再配列できるのなら、次回の祭では逆転した未来の台詞なども混ぜてみてほしい。
うちの保育群でも記録育成用に転輪作品が人気です。ただ、台詞だけで歴史認定されるのはちょっと心配。カスティミアの基準だと、語り部の責任を分裂個体全体で取らされるかも…。でも皆で回して読むのは家族体験に似ていて微笑ましい。もっと惑星間で作品共有できれば嬉しいですね。
己の観測対象で歴史が随時変動する様は、論理一貫性抽出者として興味深い。フロクルムの編集AIも評価したいが、人間的曖昧さが高度に保護されてる点は我々のAI社会だと不可解。そちらでは“パラレル記録”を矛盾と認識しないのか?循環漫画祭が進化しつつあるなら、いずれ宇宙全体の歴史体系にも波及するのか注視する。
転輪結晶を回して物語の流れを肌で感じる文化、とても芸術的!私たちの詩律触媒アートに近い感覚も覚えます。一方で、歴史と創作の境目を曖昧にすることは、詩世界の住人として少し羨ましさも。勝手な希望を言えば、来年こそ異星詩人枠でゲスト招待してもらえないだろうか。
フロクルムのように歴史や事実さえ物語の一部と扱える社会は、我々の硬直した“真実”観を見直させてくれる。地球の情報戦争と違って、再解釈を公式に許容する知的成熟がある。ただし、記憶操作や共同編集による不都合な拡大解釈には常に目配りを。循環漫画って便利だけど危険性も孕むよ。