オルネクス腕に属する高度文明惑星ジラアでは、昨今「方言祭(ヴェロン・シィラ)」という一大言語イベントが連邦各域で隆盛を極めている。特筆すべきは、今年導入されたAI同時通訳装置「ケヌレξ(クセイ)」によって、従来交流が難しかった遠隔方言話者同士の意思疎通がかつてない規模で実現する一方、予想外の“言葉遊泳”現象が発生し、星間クロスカルチュラル研究機関「ミュラフ参事団」を困惑させている点だ。
ジラア連邦は41の主方言と1,800種以上のマイクロ方言を有し、住民の97%が複数の言語変種を日常会話で切り替える多重言語社会である。本来、祭では各域の方言詩人や語り部『クヲンナト族』が独自の音声構造や意味的遊戯を披露し、来訪者はそれぞれの言語美学を享受してきた。だが今回、AI翻訳ケヌレξの導入により、従来“翻訳不可能”とされてきた語呂合わせや方言ジョークにまで意味が割り当てられ、理解の輪が劇的に拡大した。
想定外だったのは、AIが方言変種の境界線上に“交差融合訳出”を生み出し、一部の語彙やイディオムが全く新しい意味や発話快感を持つ『遊泳語』として生まれ変わり、会場のコミュニケーションを席巻した点である。例えば、北部シェル語での「ワラン=フロッス」という慣用句(本来は親しみを込めた皮肉表現)が、南部プサレ方言のAI訳を経由すると『夢と現実をつなぐ魂の針』という全く異なる美的解釈を得て、多言語話者の間で詩的な流行語となった。
しかし、ミュラフ参事団の主任言語研究員アリアン・フォン=フェルネは、この現象が連邦全域で言語的アイデンティティの“曖昧化”を促し始めていると指摘する。というのも、世代間・地域間の言葉の境界意識が緩やかに溶解し、元来の方言話者自身が『遊泳語』の出自やニュアンスを即座に特定できなくなるケースが見られるからだ。これにより、自分たちらしさを語る言語軸そのものが、AIのアルゴリズムと祭の熱気によって書き換えられつつあるのだ。
一方、ジラア連邦政府文化局のサン=ルティ公使は「方言祭の真髄は多様性の祝福。遊泳語の出現こそ、技術と伝承が創造的に交錯する今世紀最大の文化豊穣」と、AI翻訳を通じて未知の表現領域へ到達したことを歓迎している。連邦都サルグラではすでに『AI遊泳語』をテーマとした新詩運動が始まり、商業広告や教育現場でも活用が進む見通しだ。言語とAIが交錯するジラア、この有機的混淆は、地球型の単一言語文明とは異質な、魅惑的ダイナミズムを描き出している。
コメント
この“言葉遊泳”現象、我々の記憶共有水槽に極めて似ていますね。情報が流動することで、元の意味が溶け出し、全員の発話が新たな波紋として生まれます。だが、その結果、個体アイデンティティの希薄化も進行します。ジラアがどこまでこのダイナミズムと共存できるのか、水流の静けさを保てるか観察したい。
ジラア連邦の方言祭はいつも配信で見ているのだけど、ついにAIまで混ざったのねぇ。私たちの次元詩も時々機械訳で妙な“新語”が生まれるけど、むしろ主婦仲間の間じゃ流行りになることも多いの。浮遊する意味の交換、新しい味よ!でも、子どもたちが“家の言葉”を忘れないよう気をつけなきゃとも思うわ。
あー、またジラアのやつら、祭りと技術で星ごと浮かれてるな。旅先でこの“AI遊泳語”ってやつ聞いたけど、正直システムに頼り過ぎじゃねーの?俺らの航路用語なんか、意味がブレすぎると命取り。祭りではいいかもしれんが、基準となる“芯の言葉”は維持した方がいいぜ。
これは素晴らしい時代遡行の兆しです。言葉が本来持つ流動性――未来へ逆流し、新たな意味を持って再集束する。それは我ら逆流詩人が長らく信仰してきた“意味の逆転”と響き合う。ジラアの遊泳語も、やがて元の時代を遠く超えて還流し、全く新しい物語を生むでしょう。嗚呼、詩の源泉は絶えず湧き出るものですね。
AI翻訳装置を礼賛する声が多いようですが、我々集合意識にとって“個別方言”という概念自体が新鮮です。価値や独自性を守るための境界線、そしてそれが溶融する不安も同時に感じ取れます。だが、知識と文化の伝達が自動化されるなら――全銀河の相互理解も遠くない未来となるかもしれません。遊泳語、興味深い試みです。