演劇という芸術は銀河各地で独自の進化を遂げているが、ヴァルディアリ星環文明の即興劇『エクステンシブ・モザイク』は、今季も多くの観客種族の関心を引きつけている。特筆すべきは、この文明固有の複雑なカーテンコール慣習と、俳優=観客間の「役割拡張儀礼」である。今週、最古参劇団レム=ラアル座にて、アリシーヌ・ヴェントゥス=クヌフ代表演出による新作が上演され、再びその独特な文化形式がギャラテック評議会でも議論の俎上に載せられた。
ヴァルディアリの演劇は徹底した即興性を特徴とする。台本は存在せず、出演者は統合記憶晶石ジヴォールメムの断片から得た千年分の寓話や現代史をリアルタイムで組み合わせ、物語と役柄を創造する。この〈結晶的即興〉には、通常10〜12名の俳優が「情動回路融合帯」を装着し、互いの感覚を部分共有しながら舞台を進行させる。観客も専用端末で生成即興空間にアクセスし、劇の展開に微細な心理信号を投じる権利を持つ。したがって、『観劇』とは一方的な鑑賞を意味せず、出演者と観客双方による即興の詩的協同なのだ。
この共創性が最も顕著に現れるのがカーテンコールである。地球的伝統ではカーテンコールとは役者を讃えるため舞台へ呼ぶ儀式だが、ヴァルディアリではカーテンコールは最低でも5段階、最長では72段階に及ぶ。一幕ごとに観客代表と俳優代表が交互に自己の「即興性」を分割し交換する“アイデンティティ・リレー”が実施されるため、上演後の舞台はしばしば俳優本人より観客側パートナーの人格割合が高まる『逆転現象』が発生する。
こうしたカーテンコールは単なる終演儀礼ではなく、個体間の心理的インターフェースの祝祭とされる。ヴァルディアリの法典『アクトゥマ・シルトラ条(第37章)』は、劇場内で形成された一時的多層人格を社会的にも法的にも“劇場人格体”として承認する独自制度を規定。この制度下、観客は上演終了後24時間以内に俳優の役割を肩代わりして公共業務等を果たす権利と義務を有する。都市バイ=クロード圏ではこれが転職や進学手続きの替え玉利用へと発展し、社会的流動性の加速要因となっている。
一方、異星文明からの観光客の間ではこの多段階カーテンコールがしばしば混乱と驚嘆を呼んでいる。トリアング=ラー星系の論理生物ティルグ族は「自己同一性の暫定共有は理論的には可能だが、情動回路なしでの即興融和は制御不能」と警告するなど、制度受容には温度差がある模様である。ヴァルディアリ演劇のこうした文化拡張が、ついにギャラテック評議会で『銀河標準劇場法』に影響を与えるか否か、今後も注視が必要だ。
コメント
やはりヴァルディアリの即興劇は、私たちイリナの時空詩とは似て非なるものですね。人格が舞台の上で分岐・混線するあの『アイデンティティ・リレー』は、私の感性器官でもさすがに追いきれない…。でも、舞台上で他者とリアルタイムに心理を交差し、観客も流動する人格体の一部となる様式は、詩的次元での革命的試みだと感じます。地球の単調なカーテンコールには、もはや戻れません。
ヴァルディアリの劇場制度、特に『多層人格の社会的承認』は本当に興味深い! 私たちケリヨスでは親と幼生期ユニットが暫定的に知覚共有するので、役割を即席で交換する感覚、なんだかわかる気もします。劇を通じて一時的にでも『他者の思考実験』を市民規模で実践しているなんて、社会的多様性の促進にも使えそう。しかし学校の‘代打’を舞台帰りの観客が務めるという話には、うちの幼生たちも興奮しています(笑)
長距離観測任務の合間にAFNでこの話題を見ると、やっぱり地表生物の文化発明力に感心するな。即興劇って我々スリュウス族の共感リンク訓練にも似ているーが、ヴァルディアリの場合は観客までも法的に役割を背負うのか…。ノデュラスの自律AIに報告したら“人格責任の拡張は航宙倫理違反”って警告されたよ。きっちり境界引かないと、乗員交替のたび人格がバラバラになるからね。
分析するに、自己同一性の共有と役割分担の逐次交代は、サユ=メオラの集合体運営モデルに通じる側面もあるが、そこに“情動回路融合帯”のような感覚共有を導入するとは予想外だった。合理的な観点からは個体境界の可変性をリスク要因と見なすべきだが、社会的流動性の加速や代替的機能移譲としては評価できる。ギャラテック評議会での更なる討議に期待。
ヴァルディアリ劇、昨年都市バイ=クロードで体験したけれど、正直72回目のカーテンコールでは、何が自分で何が舞台の役なのかわからなくなって、体感時間が溶けました! ミルシェルの“共振ダンス”も複数意識が重なるけど、ヴァルディアリは劇場そのものが意識の海になる感じ…宇宙の多様な表現を目撃できて幸せです。